小3の終わりから小6まで、近所に住むO先生の教室で楽しくピアノを習っていたのですが、両親の判断で辞めることになりました。
理由の一つとして、両親が私のピアノへの取り組み方に問題を感じていた節があります。
このころ私は速弾きが大好きで、情緒も何もない演奏をしていました。
O先生は「趣味で習うなら楽しめればよい」という考え方だったので、強く矯正されることはありませんでした。
いっぽう両親は、「せっかくピアノが好きなら、もう少しうまくなってほしい」と思っていたようです。
中学生になって間もないころ、新しくU先生にピアノを習い始めました。
U先生は上品ながらなかなか辛辣で、私のピアノを聴いて「工事現場みたい」と言いました。
U先生の教室には5年ほど通い、ハノン、ソナタアルバム、ツェルニー、インベンションを少しずつ進めながら、あわせてレパートリーになりそうな曲を勉強していきました。
中学から高校に上がると、通学時間が片道7分から1時間10分に伸びました。
母から「部活かピアノか、どちらかにしないと無理じゃない?」と言われ、確かにそうだと思い、迷わずピアノを選びました。
しかし、高校時代はあまり身を入れて練習しませんでした。
それよりもクラシックや洋楽のレコードを聴いたり、N響の定期演奏会の学生会員になるなど、聴くことに夢中になっていました。
ポリー二、ブーニンのコンサートに出かけたのも高校時代です。
ポリー二の演奏はあまりに端正で、聴き終わったあと言葉を失いました。
ブーニンはショパンコンクールに優勝した直後でチケット争奪戦が大変でした。
母に付き合ってもらい、チケットぴあのお店の前に朝6時ごろから並んだのを覚えています。
すでに人が来ており、私は2番目でした。
当時はインターネットがなかったため、チケットが欲しければ直接店舗に行くか、電話で購入するしかありませんでした。
電話だと絶対通じないと判断し、並ぶほうを選んだのです。
高校2年の終わりごろ、大学入試のためピアノを休むことにしました。
U先生から「最後に何を弾きたい?」と訊かれ、「幻想即興曲」と答えました。
以前通っていたO先生の教室で、憧れの先輩だったIさんが弾いていた曲です。
幻想即興曲を仕上げて満足し、私の現役時代は終わりました。
4歳から17歳まで、13年間のピアノ人生でした。